和歌山の小さな神社 延喜式内社 朝椋神社(あさくらじんじゃ)
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氏神さまとは、地域の守り神のことを言います。
一般には私たちの住まいの近くにある神社がそれで、私たちの生活を守ってくださいます。
あなたの近くにも氏神様(地域の神様)はおられます。
当神社の、創立年代は不詳であるが、『紀伊續風土記』に、「右社若山鷺ノ森にあり、延喜式神明帳名草郡朝椋神社、本國神明帳名草郡從四位上朝椋神是なり、此地古?樟の大樹あり白鷺常に其上に群集りしかは、土人鷺ノ森神社といへり、又九頭大明神と称す」の記述がみられる。
『紀州名勝志朝椋神社伝』に、「上古鎮西將軍(不知何御字何許人)攻伐之砌殊勲故に造建す」と記されている。
寛弘二(一〇〇五)年五月攝社修葺、永徳二(一三八二)年五月、應永一八(一四一一)年四月、永享一〇(一四三八)年一二月、康正三(一四五七)年八月、永正年間(一五〇四〜二〇)造営の事あり。その後天正一三(一五八五)年兵乱に罹り、社領等掠取され、当時の神官杉原景政竊に神櫃を負うて山林に隠れたと云う。(海部郡栄谷村〈現和歌山市栄谷〉渓間に国津神谷と称する所があり、神櫃暫時鎮座の地と伝えられる)その後文祿五(一五九六)年桑山宗栄再建し、幾許もなく萬治二(一六五八)年回祿に罹り、徳川氏また再営とある。
昭和二十年七月戦災のため全建物焼失、昭和三六年社殿並に社務所再建される。
明治六年村社、内町西部、宇治一部の産土神と記されている。
又、『紀伊續風土記』に、往古境内に「社霊の松」と称する松の大樹あり、寛正六(一七九四)年本居宣長の献詠歌に「廣まへに緑も深く枝たれてよにめつらしき神かきの松」とよまれ、奉納されている。
福の神の大黒様として、又大なる功徳のある神様として、氏子をはじめ近郊近在の人々の信仰が厚い。
●「延喜式内社」(えんぎしきないしゃ)
→延喜式内社とは?・・・・延喜式神名帳に記載された神社を、「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっている。
→延喜式とは?・・・・延喜式(えんぎしき)とは、平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)で、三大格式の一つである。三代格式のうちほぼ完全な形で残っているのは延喜式だけであり、かつ細かな事柄まで規定されていることから、古代史の研究では重要な文献となっている。
→このことから平安時代中期には、すでに存在した神社である。
●境内(けいだい)の特徴
・通常神社には狛犬が祀られているのは一般的であり、朝椋神社にもちろん祀られている。しかし朝椋神社では狛犬の他に「こまねずみ」がみられる。その理由としては、朝椋神社の主祭神は大國主命であり、ねずみはその眷属とされていることが理由に挙げられている。実際にこまねずみが祀られたのは子の年である平成8年6月であり、歴史はそれほど深くはないとはいえ、他の和歌山市内の神社には見られない特徴である。
●境内境内社(けいだいしゃ)
・神明神社
御祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 豊受大御神(とようけのおおみかみ)
・子守勝手社
御祭神 天之水分(みくまり)神 国之水分神
ナギはマキ科に属する針葉樹でありながら、広葉樹のような幅の広い葉をもつちょっと変わった樹木です。
その葉は、縦に細い平行脈が多数あって、主脈がありません。その一風変わった構造のため、ナギの葉は、縦には簡単に裂くことができますが、横には枯れ葉であってもなかなかちぎることができません。
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